クライマー・佐藤裕介 – Vol.4 黒部横断

佐藤裕介は高難度フリー、ミックスクライミングでテクニカルなルートに取り組みながら、雪深い日本アルプスの最深部でひたすらラッセルにもがき、雪稜登攀を交えて剱岳を目指す日本特有ともいえるような山行を、ここ10年毎年のように行ってきました。連載最終回となる今回は、その経験から得られたものについて話を聞きました。

2018年12月12日

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厳冬期の剱沢と剱岳

計画と準備

「山の中にどっぷり、完全に雪と登山者だけ」そういう隔絶された空間で剱を目指していくというのが、私が考える厳冬期の黒部横断です。例えば数日、せいぜい一週間くらいの期間でアルパインクライミングをする時のような、山頂にタッチしてすぐに逃げてくるという登山よりは、少し余裕があります。時間の流れがゆったりとしていて、仲間と馬鹿話をしていられる分楽しめます。ここ10年くらい取り組んでいて、黒部横断に関しては致命的な状況に追い込まれないようにするための手立てが、かなりできてきたような気がします。心理的なプレッシャーはありますが、最初の頃よりは軽くなってきている。だんだん緊張が薄れてきたのがこの10年だったのかも知れません。

厳冬期の黒部横断を考えると、十字峡の横断が1つの核心です。ここを渡るとどこへ行っても逃げ場が少なくなります。厳しい尾根が集まっているのも十字峡周辺です。ここを抜けて黒部別山の尾根を登って、剱岳・八ツ峰につなぐというのが、我々の計画です。だいたい3人で行っていて、私ともう1人は固定メンバーで3人目はその時々です。「黒部別山 : 積雪期」というマニアックな本があって、2人ともこの本をよく読んでいるので、登られている尾根についてはだいたいのイメージができていて、あとはどこを登るかです。

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凍てつくような黒部川の渡渉

食糧は最初の5年くらいはアルファ米が主でそれにみそ汁、行動食もアルファ米でした。炭水化物ばかりでしたが、最近は高カロリーなラードをアルファ米に入れています。肉などのたんぱく質を全体で5キロ、チーズとラードを1人あたり700グラム、米は1人あたり11キロです。ザックの重さは直近の山行のスタート時で約40キロでした。体重は秋のクライミングシーズンまでは絞っていて、カロリー消費の激しい冬山の時は増やしています。

黒部横断における充実感

これまで行った10回の黒部横断山行の中で、「2008年を超える山行はなかった」という点で私とパートナーの意見は一致しています。成果としては2016年の「黒部ゴールデンピラー」ですが、山行としては、全てを乗り越えて生き残ったという感覚は2008年に馬場島へたどり着いた時以外はないです。追い込まれた場面から脱出する。記録的な成果とは異なる「生き残った感」とでもいうのでしょうか。登山を改めて考えるきっかけになった山行です。八ツ峰から剱岳に到達できた2012年は日数が9日間だけでしたから、それ自体は大したことがないというか、それまで5年間の過程を含めてはじめて「良い山だった」と言えます。充実感は自己満足のようなもので、どのような条件下で横断したかによって変わります。もし、最初にたまたま八ツ峰を完登できていたら、これほど通うこともなかっただろうと思います。2012年までは八ツ峰を登れなかったという意味では全部敗退でしたが、1つ1つに価値と意味があって、私にとっては宝物のような経験です。

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2012年八ツ峰で迎えた朝日

雪崩に流された2008年

2008年に黒部で雪崩に流された時は死にかけています。同世代で経験も同じくらいの3人で、厳冬期の黒部横断は全員が初めて。池ノ谷ガリーで雪崩に巻き込まれて3人とも奇跡的に助かりました。標高差で約600m、距離にして1.2km流されたのです。その後、スパンティークでも雪崩に飛ばされていて、それも死んでもおかしくありませんでした。これまでで本当に致命的な経験はこの2つです。それまでも「雪山やアルパインはリスクが高いので気を付けよう」という意識はありましたが、身に染みて思ったのはこの時です。そこから「それでも行くのか」というしんどさが生まれました。

黒部で怖いのは雪崩や悪天で閉じ込められること。2008年(正確には2007年12月29日)に雪崩に遭ったのは三ノ窓で1日停滞した翌日でした。登山では、よく「ダメだったら帰ればいい」と言いますが、雪崩地形の池ノ谷ガリーを通らないと帰れない状況です。この日ここを通るというのが1つの選択肢で、いつ良くなるか分からない嵐をやり過ごして好機を待ってから通るというのがもう1つでした。結局、この先冬型で一週間以上閉じ込められるかも知れない、という前の疑似好天があり、これを利用して帰ろうと考えて雪洞を出ました。しかし、その前日に降った雪がガリーに溜まっていて、弱層もあり全員がヤバイとは思っていたのですが、「逃げたい」という気持ちが勝り突っ込みました。今だったら停滞するか、少なくともロープを出すと思います。雪崩に流された後、三ノ窓まで登り返し、そこからさらに4日間の雪洞泊となりました。全体では18日間と長くなり、かなりげっそりしました。

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2008年剱岳山頂で仲間と

2016年の「黒部ゴールデンピラー」

トサカ尾根末端壁 (通称「黒部ゴールデンピラー」) を登りに行った2016年の山行は2つの意味で特殊でした。1つはその直前に「千日の瑠璃」という心身ともにすり減るような、自分にとって一番難しい部類のクライミングをしていたこと。その後に宮崎でのプロジェクトに取り組んでいた時まで、体重は一番軽い時で56キロでした。1ヵ月半後の黒部横断の入山時には66キロだったので、10キロの増量です。「千日の瑠璃」が終わって、「よし、黒部行くぞ」となると、一食で2キロの肉を食べるなど常にお腹一杯な状態で、気分的にはお祭りでした。

もう1つは停滞の長さです。1つの雪洞に19泊もしたのは初めてでした。基本は決められた日数で行ける所に行くので、雪洞に停滞するのは天候が回復しないなど行動できない時で、せいぜい2泊です。今回は取り付くまでに雪崩のリスクが非常に高い箇所があったので、それを避けるためには直前に3日間雪の降らない期間が必要と考え、そのタイミングを待つために停滞しました。前年の2015年にも同じ目的で入山していたのですが、その時は天候を待つのがつら過ぎて粘れず、ガンドウ尾根に進み剱岳にも登らずに下山しました。今までで最も後悔した山行の1つです。入山するときの覚悟が足りなかったのだと思いました。

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黒部峡谷にそびえるトサカ尾根末端壁 (左)

「停滞して好機が訪れなければ帰る」それくらいの覚悟がないと登れない、待つことを覚悟したかつてない山行でした。1日だけピーカンでも行けないので、外に出てお茶をして、長丁場なのでリラックスして過ごしました。そのうち話すこともなくなり、紙に書いた駒で将棋を始めたあたりから時間が経つのが速くなりました。しかし、19日待ってもチャンスは来ませんでした。当初思い描いていた状況とはかけ離れており、このまま帰ることも考えましたが、取付きを見て帰るだけでも価値があるから、と最終的に行くことにしました。

10年目のミス

2008年の失敗以降かなり慎重になっていたのですが、ちょうど10年目となる2018年に致命的なミスをしました。3人で十字峡に向けて下っていたのですが、今までで一番雪が多くて歩きやすい状況で、普段は急過ぎて巻くようなところもロープを使わずに下りられていました。急な箇所をクライムダウンしている時、最後ちょっとした段差をジャンプするようなところがあり、ザックが30キロくらいあったのでバランスを崩したのか、雪が崩れたのかわかりませんが1人がそこで転び、それにより周辺の雪が少し崩れて落ちました。標高差で500m、途中露岩が出ているような急なところを沢の底まで。正直、最悪のケースが頭をよぎりました。デブリに埋もれているおそれがあったので、もう1人が救助の準備をしている間に、私はかなり急いで下りました。普段なら絶対しないようなところで尻セードをして途中で止まらなくなり、グルグル回転しながら下りたせいで一瞬で追いつきましたが、その時には顔中血だらけでした。先に落ちたパートナーから「裕介さん顔大丈夫ですか?」と聞かれる始末で、当の本人は「首が痛いけど、大丈夫」という感じで、なんとか自力下山できました。

2008年の経験から時間が経ち、ちょっと気が抜けていたのかも知れません。今はもう一度振り返って気を付けよう、という心境です。

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牛首尾根の支尾根より十字峡を目指す

黒部横断の装備

「黒部ゴールデンピラー」の年は『クォーク』『サミテック』を1本ずつと軽量なウォーキングアックスが1本。最初の頃は一人2本ずつ『クォーク』を持って行きましたが、最近はトップがダブルアックスで後はユマーリング、それ以外はシングルアックスとスコップでこなすスタイルになってきました。ビーコンとショベルは持っていきますが、ゾンデ棒 (プローブ) は持って行きません。足元はわかんと『ダート』です。クランポンは平爪でも良いのですが、シビアなところではやはり一本爪の方が良いですね。ハーネスは『ヒューロンドス』を使うことが多く、雪稜のときは『アルティチュード』を使うこともあります。ザックはアライテントの『マカルー 80L』。80でも120Lくらい入る感覚で、同じ重量でも背負い比べると安定して断然楽な印象です。長期間山に入るので、道具は丈夫で壊れにくいことも大事です。

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